花言葉
諸君、ご機嫌よう。
竹花文明と申します。
表題について。
私はこの「花言葉」というささやかな祈りを愛しています。さらに言えば、「色言葉」や「宝石言葉」なんかもありましょう、ものに込められた言葉が愛おしくてたまりません。
花はそこに咲いて或るだけなのに、そこに意味が与えられる。
ある側面では、傲慢な理由付けが行われている。
その営みの、都合のよさ、気ままな人生謳歌の様が、私は愛おしい。
そして、よくわからんトコトコ動き回ったりワーワー音を鳴らす動物?とかいうらしい異種の生物が込めてきた祈りを、知らん顔して、鮮明に生きている花のなんと美しいことか。
どちらに対しても、羨ましさなんでしょうね。
躍動感あふれる瑞々しさへの羨み。
花言葉を懸けた某にも、素知らぬ花にも、生命の躍動が見えるのです。
平凡である我々(あえて諸君を巻き込みます、失敬)が、どれだけ悩めば繰り出せる奔放さなのか。
周りが気になる我々が、どれだけ耐えたら至れる気高さなのか。
懸けた某は、そんなこと気にせず、花を愛していて、皆にも花を愛してほしいから、愛すべき言葉を与えたのでしょう。
純真ですね。
さて、平凡な私はなにができるの?と申せば、それでも必死に言葉を捻り出して混ぜて捏ねて発酵させて空気を抜いて形を整え焼き上げることのみでしょう。
それが口に入るかは、いかがでしょうね。
以上。